そうですね。もう昨今はそういうメディアだけじゃなくて一個人の発言まで配慮必須の時代だなって思います。
でも何をもって配慮と言えるのか
そのラインって人それぞれだったりするし
簡単な問題ではないですよね。
これはわたくし個人の考えですが
漫画などの創作物やエンタメに関しては
「何を目的とした表現なのか?」が論点になると思います。
例えば、いじめ。
漫画の中でいじめのシーンを描いてはいけないのかというとそうではないですよね。
いじめが起きてるのに登場人物たちが見て見ぬふりをしたまま物語が終わったり、
いじめをしてる人がなんの制裁も受けないまま旨味だけを得ていたり、
いじめが変に美化される内容だったり
そういう表現になってしまうと「いじめを助長した内容」になってしまうと思いますが
いじめられていた時に誰かが助けてくれた!とか
いじめられてたけど問題に立ち向かって解決した!とか
そういう物語ならスカッとしますよね。
動画でもなんでもそうですが
「切り抜いたらそう見える」という表現はいくらでもあります。
でもその作品全体を通しての演出として必要な表現というものはあります。
そこを中途半端にマイルドにしていては伝えたいことも伝えきれません。
ちなみに、わたしはギリギリ昭和生まれの平成育ちなんですが
先日久しぶりに中学時代に好きだった、とある青年ギャグマンガを読んだんです。
懐かしすぎて腹を抱えて笑いました。
でもやはり青年向けなので過激な表現も多く
当時は何も知らず雰囲気で笑ってたけどよく考えたら女性蔑視な表現だな~とか、
昔はこういう表現よく見かけたけど今なら大炎上案件だろうな~とか、
手放しで笑えなくなってしまったシーンもたくさんありました。
私自身大人になったのと、時代の変化に伴って感覚が変化したんだなって思います。
そういう時代と令和の何が違うのかって
やはりSNSの発達によって消費者の声がダイレクトに届きやすくなったことが関係してるんだと思うんです。
しかもそういう声があるということが第三者の目にも触れるので無視をすることができない。
そうなってくると炎上が起きたり規制が起きたり
そういうものが積み重なって、社会全体の感覚自体が変化してしまった。
と、なると本来は笑わせるための表現なはずなのに笑えない。
その目的が達成されない。ということになるんですよね。
そういう時代の変化に感覚が伴っていなかったり、なんでもかんでもとりあえず規制しちゃったりする大人もたくさんいますが、
時代の変化が急激すぎる分、難しいんだろうなって思います。(規模が大きければ大きいほどなおさら)
もちろん誰かが傷つくのは悲しいことです。
でも、コンプライアンスというひとことで生まれるはずだった求められるべき表現や作品が失われるのも悲しいことだと思っています。
炎上に怯えて何もできないとか
問題の枝葉の部分だけを見て応急処置的な対応をするとか
そういうんじゃなくて
自分の中の芯を強く持って表現していけたらなと、個人的には思います。
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